『映画』駆逐艦 雪風

どうも。おおかみです。
最近知ったのですが、駆逐艦雪風を題材にした映画が公開されるそうですね。
雪風は小さい頃から僕の叔父から話を聞いた事があるので、
とても興味があります。

雪風は戦後まで生き残った数少ない艦であり、その後も他国で運用された珍しい艦です。
当時、戦後日本は他国への賠償のためにこうした自国の技術の塊である兵器を破棄または売却
してしまいました。
こうした兵器も後世まで保管、語り継ぐことの方が個人的にはいいと考えているので、
実に無念な事だと思います。
また、当時の造船技術の高さの結晶であり、技術的に継承されるべきものだったと
感じています。

こうした艦がどのようにあの狂気の時代を生き残ったのか、乗員たちの物語を含め
映画の公開はとてもいい事だと思います。

そこで、今回は駆逐艦 雪風について調べましたので、ぜひ若い世代の方の目に留まれば
幸いです。

駆逐艦雪風とは

駆逐艦雪風は、1939年に竣工した日本海軍の陽炎型駆逐艦の8番艦で、その艦名は「雪が風に舞う様子」に由来します。特に目を引くのは、その驚異的な生存率で、太平洋戦争を通じて数多くの激戦を潜り抜けながら、最後まで沈没することなく生き延びました。
その為、幸運艦と呼ばれ駆逐艦の中で上位の入る知名度でした。


雪風の装備と性能

雪風の基本性能は以下の通りです:

  • 排水量:基準2,033トン
  • 全長:118.5メートル
  • 速力:35ノット(約65km/h)
  • 主砲:12.7cm連装砲3基6門
  • 魚雷発射管:61cm四連装発射管2基8門(酸素魚雷装備)
  • その他:高角砲、機銃、爆雷などを搭載

雪風の最大の特徴は、強力な魚雷攻撃力と高い機動性に加え、ダメージコントロール能力の高さです。被弾しても沈まない構造と、乗員たちの士気の高さが、生存率の高さに大きく貢献しました。


雪風の伝説的な戦歴

真珠湾攻撃

開戦初頭、雪風は真珠湾攻撃の護衛任務に参加。主力空母の警護に当たり、無事帰還しています。

ミッドウェー海戦

1942年6月のミッドウェー海戦では、雪風は主力艦隊の護衛を務めました。日本側の敗北となったこの戦闘でも、雪風は損傷を受けることなく帰還し、その幸運ぶりが話題となります。

ソロモン諸島の戦い

1942年から1943年にかけてのソロモン諸島での戦闘では、「東京急行」と呼ばれる高速輸送任務に従事。敵の攻撃をかいくぐり、前線への補給を続けた雪風は、数度にわたる空襲や魚雷攻撃にも耐え抜きました。

レイテ沖海戦

1944年10月、太平洋戦争最大の海戦「レイテ沖海戦」では、雪風は栗田艦隊の一員として参加。敵の猛烈な攻撃を受けつつも、見事に生還し「不沈艦」としての名声を不動のものとしました。

沖縄戦

1945年の沖縄戦では、戦艦大和の「特攻作戦」に護衛艦として参加。この作戦では大和を含む多くの艦艇が失われましたが、雪風は奇跡的に生還。その後は本土防衛の任務に就きました。


雪風のその後

終戦後、雪風は賠償艦として中華民国(後の台湾)に引き渡され、「丹陽(たんよう)」と改名されました。台湾海軍でもその性能は高く評価され、1950年代半ばまで現役で活躍しました。


若者に伝えたい雪風の物語

雪風の生還は単なる幸運ではありません。乗員たちの士気、技術、協力の結晶です。その姿勢は、現代を生きる私たちにも通じるものがあります。困難を乗り越える意志、仲間と共に支え合う力――それが雪風の真の姿です。

歴史を知ることは未来を築くこと。ぜひ、この奇跡の駆逐艦「雪風」の物語を通じて、日本の歴史に触れ、平和の大切さを感じ取っていただければ幸いです。

こういった実話をもとにした映画にはどうしても戦争美化と批判が飛んでくる事があるのですが、
同じ日本人の過去を知ることは重要だと僕は考えます。
記憶の継承を様々な形で行っていく必要があります。

同じ過ちを繰り返さない。そん経験をもとに最善の選択が取れるように。
あの時代の事に少しでお興味をお持ち頂けたなら幸いです。

映画は8月15日に公開予定だそうです!!

では!

コメント

タイトルとURLをコピーしました